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ハイデガー『哲学の終りと思惟の使命』より、あるいはデリダ

科学と技術 (ハイデガー、ラカン、ゴダール=蓮實重彦など)補遺

べつに予言者でなくても、現在の諸科学が早晩その装置の仕事において新しい基礎科学たるサイバネティックスによって規定せられ、案内されることになるだろうということはたやすく知られる。サイバネティックスというこの科学は人間を社会的環境内での活動を本質とする存在として規定することと対応している。サイバネティックスとは、結局人間の仕事をできるだけ計画的に運営し組織化することを引き受けるということを対象とする理論である。サイバネティックスは言語というものを情報交換の手段にしてしまい、芸術を報道目的に向けて動く道具にさえしてしまう。哲学とは要するに自律的な、しかしまた毎日のようにますます大胆に相互関連的になりつつある諸科学のことだという説明、これはまさに哲学の正式の完結である。哲学は現代において終りをつげる。(ハイデガー『哲学の終りと思惟の使命』)


私はもちろんハイデガーがナチだったと知っています。誰もが知っていることです。問題はそこではないのですよ。問題は、果たして彼が、ナチスのイデオロギーに与することなしに20 世紀で最も偉大な哲学者になり得たかどうかということなのです。(デリダ)ハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト『なぜ精神科学を改革しなければならないのか』(田中純)


……ただしこの人間主義的目的論,私はそれを批判するつもりはない。たぶんもっと緊急なことは,ありとあらゆる否認や回避にもかかわらず、その目的論が今までのところ(ハイデッカーの時代から、そして彼の状況において,しかしそれは今日でもそっくり変わっていない), 生物学主義,人種主義,自然主義などを倫理一政治的に告発する際に支払わねばならぬ代価たり続けてきたということを想起させることである。 

私がこの「論理」を,諸々のアポリアや限界を,諸々の前提や公理上の決定を,諸々の逆転と汚染を,とりわけこの「論理」がそこで足をとられるのをわれわれが目撃している汚染を分析するのは,むしろこのプログラムがもっている恐るべきメカニズムの数々を,プログラムを構造化している数々の二重束縛を露わにし,次に形式化するためである。

このプログラム,それは宿命なのだろうか?そこから逃れられるのか?「ハイデッガー派の」言説にも「反ハイデッガー派の」言説にも,そう思わせる兆候は全くない。このプログラムを変形させることはできるのか? 私にはわからない。いずれにしろそれを,この上なく縒れた諸々の狡智と最も繊細なその手口の数々〔=動カバネ(ressorts)〕に至るまで徹底して認めることなしに,一撃でそれを避けることはできない。 (デリダ「精神について ハイデッカーと問い」
by yokato41 | 2011-12-08 18:23 | 批評・思想 | Trackback | Comments(0)
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